皆さんご存知のようにスターダストにはジュークボックスがあります。
ここでは、ジュークボックスの日本における変遷を年代別で紹介してみようと思います。
1906年。アメリカの「ジョン・ゲイブル社」がSP盤を再生する
自動演奏蓄音機(オートマチック・エンターテイナー)を開発したのが、ジュークボックスの始まりです。
「ナショナル・オートマティック・セレクティブ・フォノグラス」を開発し、
その後1930年代に入り現代に繋がる本格的なジュークボックスが開発されるようになった。
日本では、この頃になるとカーステレオに似た8トラックのテープを使った小型のテープ・ジュークボックスが登場した。これは「フナイ商事」「日本ビクター」「木下計装」「日本蓄針」「産研工業」ほか数社が製造し、やがてカラオケの付いた変わり種ジュークボックスが現れるようになる。 はっきりしたデーターがないのでよくわからないが最盛期は1960年代中頃。台数のピークは1970年代後半と思われるる1970年代前半には温泉旅館、喫茶店、スナック、ゲームセンターなどを中心に全国約7万台があったとされる(レジャー年鑑1970年版)。これは西ドイツと並び、アメリカに次ぐ世界第2位の数字である。